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長崎地方裁判所大村支部 昭和50年(モ)41号 判決 1975年12月24日

申請人 浜田房子

右訴訟代理人弁護士 横山茂樹

右同 熊谷悟郎

被申請人 大村野上株式会社

右代表者代表取締役 野上勝躬

右訴訟代理人弁護士 芳田勝己

主文

本件につき当裁判所が昭和五〇年三月一四日になした仮処分決定は、これを認可する。

訴訟費用は、被申請人の負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  申請の趣旨

主文同旨の判決を求める。

二  申請の趣旨に対する答弁

1  主文第一項掲記の仮処分決定は、これを取消す。

2  申請人の本件仮処分命令の申請は、これを却下する。

3  訴訟費用は申請人の負担とする。

との判決を求める。

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  申請人は、昭和四四年一〇月六日、大阪に本社があり肌着、パジャマ、ショーツ等の製造、販売を業とする申請外野上織布株式会社大村工場の従業員として採用され、爾来同工場において主としてパジャマの裁断縫製工として勤務してきたところ、同工場は昭和四八年九月一日付で右申請外会社のいわゆる子会社として独立し、被申請人会社となった。即ち、法的には被申請人会社が右申請外会社から同社大村工場の営業および工場設備等一切を譲り受けたので、申請人ら従業員と右申請外会社との間の従前の雇用契約関係はそのまま被申請人会社を使用者とする契約関係に移行した。

2  このようにして、申請人は被申請人会社の従業員となった後も従前と同様の作業に従事し、毎月二五日に平均賃金四万九五六六円の支給を受けていたたところ、被申請人会社は昭和四九年一二月二日以降申請人の従業員たる地位を争い、賃金を支給しない。それで申請人は雇用関係存在確認等の訴訟を提起すべく準備中であるが、申請人は賃金のみによって生計を立てている労働者であるから、かくては忽ち生活に窮し、本案判決の確定をまっていては回復し難い損害を蒙ることが明らかである。

3  そこで申請人は被申請人会社を相手方として、申請人の従業員たる地位を仮に定め、かつ毎月二五日限り前記平均賃金相当額を仮に支払え、との仮処分命令を求めて長崎地方裁判所大村支部に申請したところ、同裁判所はこれを認容して主文第一項掲記の仮処分命令を発した。

よって右仮処分決定を認可するとの判決を求める。

≪以下事実省略≫

理由

一、申請の理由1の事実は当事者間に争いがない。

二、同2のうち、申請人が昭和四九年一二月二日までは被申請人会社の従業員として扱われていたが、翌日以後は被申請人会社がその従業員たる地位を争い賃金を支払わないことは、当事者間に争いがない。

三、よって抗弁につき判断するに、被申請人会社が右昭和四九年一二月二日に申請人に対し口頭で解雇通告をしたことは、当事者間に争いがない(以下本件解雇という。)。

申請人は本件解雇の効力を争うので、以下この点につき検討する。

1  先ず、申請人は本件解雇は不当労働行為であると主張する。

≪証拠省略≫を併せ考えれば、被申請人会社には職制を含め全従業員加入の親睦団体である「工友会」があり、申請人は本件解雇まで数年間にわたり選挙により選出されて右「工友会」の会計担当役員をつとめ、その間会社側に対し「工友会」の経理の明朗化を提言したり、職場の環境につき同僚の不満を代弁したりするといった程度のことをしていたことが認められるが、右程度以上に被申請人会社が殊更に職場からの排除を意図する程積極的な活動をしていたことを認めるに足りる疎明はなく、またそのことの故に被申請人会社が申請人を解雇したものと認めるに足りる疎明もない。

よって不当労働行為の主張は理由がない。

2  次に解雇権濫用の主張につき判断する。

(一)  先ず、被申請人会社が本件解雇をするに至った経緯およびそれに付随する状況等につき考察するに、≪証拠省略≫を併せ考えれば、おおよそ以下の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

(1) 被申請人会社は、主にメリヤス肌着、パジャマ等下着縫製品の製造ならびに販売を業とする会社であって(この点は当事者間に争いがない)、大村市森園郷所在の大村工場の他に大村市農協内の分室および西彼杵郡外海町所在の分工場を有していたが、生産の主力は右大村工場であった。総従業員数は最も多い時で約二六〇名であったが、本件解雇が行なわれた昭和四九年一二月初めの時点では合計二三一名であり、その内訳は大村工場二〇二名、分室一四名、外海分工場一五名であった。従業員は職制を除けば殆ど女子であった。

(2) 被申請人会社は、その前身たる野上織布株式会社大村工場の時代から引続き専ら申請外福助株式会社(以下福助という)の注文を受けてメリヤス肌着等を製造し、これを福助が買い取るという形で営業を続けてきたが、昭和四八年度(同年四月一日ないし翌年三月末日までを指す。以下同じ。)は福助からの受注が大幅に増加し、当初の生産計画二五六万枚であったものが、年度途中で福助から三〇〇万枚にするよう増産を指示され(実績は二八三万枚)、更に翌四九年度については三五〇万枚の生産を指示されたので、被申請人会社は右数量の注文に応ずるには二五〇名の従業員が必要と判断し増員した結果昭和四九年四月ごろには二四〇名位、同年一二月初めごろにはやや減少して前項のとおり二三一名となっていた。

(3) ところが、昭和四九年五月ごろから繊維業界の不況を理由として福助からの注文が減少しだし、当初昭和四九年度の年間生産計画はメリヤスについては前項のとおり三五〇万枚であったものが同年五月には二九五万枚に、翌六月には二七五万枚に、翌七月には二六二万七、〇〇〇枚に、同年一〇月には二五一万三、〇〇〇枚に、そして翌一一月には二四二万枚にと次々と減産の指示をされるに至った。またクレープについても事情はほぼ同様で、当初昭和四九年度の年間生産計画は二〇万枚であったものが、最終的には八万枚に減産の指示を受けた。

(4) こうした注文の減少に伴い、被申請人会社においては、大村工場の最高責任者である市川徳夫工場長を中心として対策を検討し始め、当初は例年六〇余名の任意退職者があるところから、新規採用をストップすれば自然減でまかなえるものと見込んでいたが、昭和四九年度は任意退職者が少なく、また減産傾向が確定的になったこともあって、自然減以外の方法で余剰労働力の吸収をはからねばならないと考えるに至った。そして昭和四九年一〇月下旬ごろから、大阪の本社にいる会社代表者と工場長との間で電話連絡をとり或は工場長が本社へ出張する等の方法によって両者が協議した結果、従業員の一時帰休或は希望退職者を募るなどの方法を採用することも一時話題に上ったこともあったが、その点については具体的な検討をしないまま、同年一一月下旬ごろには主として工場長の意向によって指名解雇をすることに決定した。

(5) こうして工場長を中心とする会社側は、そのころから具体的に解雇の対象者を選定する作業にとりかかったが、それはおおよそ次のような手順で進められた。先ず当時の総従業員数二三一名のうちから外海分工場勤務者一五名、分室勤務者一四名、会社の寮に入っている者一八名、精薄者七名、身体障害者五名、入院中の者七名、寡婦七名および代替困難な者として一一二名(以上合計一八五名)を解雇の対象から除外し、残る四六名について後記整理基準に従い判定した結果、申請人を含め二九名が解雇の対象者としてリストアップされた。整理基準については、工場長において1 出勤状況、2 作業能力、3 協調性、4 無届けアルバイト、5 共稼ぎ(同一家庭内で本人以外に収入のある者がいるかどうか)等の項目によるよう指示し、各課長、労務課長補佐らが右基準に従って評定人選を行なった。

こうして作成された解雇予定者のリストをもとに、同年一二月一日大村工場に来た会社代表者と工場長が協議した結果会社代表者もこれに同意し、ここに最終的に右リストのとおり二九名の指名解雇を実施することに決定した。

(6) かくて翌二日朝(月曜日)、被申請人会社は平常どおり出勤した全従業員を大村工場の会社食堂に集めて朝礼を行ない、その席上会社代表者が繊維業界の不況と人員整理の必要性について概括的な説明をし、次いで工場長が同じく不況の深刻なことと人員整理を実施するについてこれからカウンセリングを行なう、その席でいわれたことは口外しないようにと話した後、職制が手分けして全従業員に一人ずつ面接し、前示リストアップされていた二九名の従業員に対しては具体的な理由は示さずにその場で解雇通告を行ない(申請人に対しては滝川労務課長補佐が面接し、あなたは共稼ぎだからといって解雇通告をした)、右二九名以外の従業員に対しては、大体、今後も頑張ってくれるように、という趣旨のことを話した。

(7) 本件解雇によって被申請人会社の従業員数は約二〇〇名となったが、その後結婚・出産等の理由により三〇名以上の任意退職者があり、反って人手不足となったため、被申請人会社においては昭和五〇年に入って一月ないし一〇月初めごろまでの間に少なくとも四名以上の数名を新たに採用し、現在も八名位の女子労働者を新規採用すべく職業安定所を通じて求人募集中である。

(二)  ところで、余剰人員の整理を目的とするいわゆる整理解雇は、一旦労働者が労働契約によって取得した従業員たる地位を、労働者の責に帰すべからざる理由によって一方的に失わせるものであって、その結果は賃金のみによって生存を維持している労働者およびその家族の生活を根底から破壊し、しかも不況下であればある程労働者の再就職は困難で、解雇が労働者に及ぼす影響は更に甚大なものとなるのであるから、使用者が整理解雇をするに当っては、労働契約上の信義則より導かれる一定の制約に服するものと解するのが相当である。即ち、本来解雇権の行使は使用者が有する経営権の発現として使用者の専権に属し、原則として自由であるけれども、決して使用者の恣意的行使が許される訳ではなく、その行使の仕方によっては権利濫用の評価を受けることがあり得べく、このことは何も解雇権に限ったことではなく権利一般を通じていえることであるが、解雇権の場合にはその特質に鑑み、他の権利よりもなお一層信義誠実の原則に従ってこれを行使することが要請される訳である。

そして当裁判所は、当該整理解雇が権利濫用となるか否かは主として次の観点から考察してこれを判断すべきものと解する。即ち、第一に当該解雇を行わなければ企業の維持存続が危殆に瀕する程度にさし迫った必要性があることであり、第二に従業員の配置転換や一時帰休制或は希望退職者の募集等労働者によって解雇よりもより苦痛の少い方策によって余剰労働力を吸収する努力がなされたことであり、第三に労働組合ないし労働者(代表)に対し事態を説明して了解を求め、人員整理の時期、規模、方法等について労働者側の納得が得られるよう努力したことであり、第四に整理基準およびそれに基づく人選の仕方が客観的・合理的なものであることである。けだし以上の諸点を満す整理解雇であれば、他に特段の事情のない限り、使用者としては一応誠実に権利を行使したものと認め得るからである。(なお一般的に解雇が労働関係法規ないし労働協約、就業規則等に抵触するものであってはならないことはいうまでもなく、それらの場合にはそのことだけで解雇無効の問題を生ずるから、ここでいうのはそうした法規違反等が一切ないことが前提となる。)

(三)  そこで本件についてこれを見るに、当裁判所は冒頭掲記の当事者間に争いのない事実および前示認定事実を綜合して判断した結果、本件解雇は権利行使として是認される限度を著しく逸脱したものであって解雇権の濫用に当たると判断した。

その理由は次のとおりである。

(1) 本件解雇は不況による受注量減少を理由としてなされた解雇であるから、本来ならば今後の生産計画とてらしあわせて過剰となる従業員数を先ず確定し、次いでその具体的人選に移る筋合いであるが、本件では一体何名の人員整理が本当に必要であったのかが明らかでない。つまり前示解雇通告に至るまでの経過から判断する限り、被申請人会社は前示(5)のような特定の基準(代替困難な者というのはとも角、その余の基準が何故企業採算の維持に役立つのか理解できない)によって全従業員のうちから先ず一八五名を解雇の対象から除外し、残る四六名について被申請人会社主張の整理基準を適用して判定した結果、二九名が解雇の対象者とされたのであるから、右二九名という人数はいわばたまたま出てきた結果にすぎず、被申請人会社において当時果して二九名が余剰人員であったかどうか疑問である(≪証拠省略≫によれば、会社側は本件解雇当日、三二名の解雇を予定していたふしもある。)。右のような基本的事項の確定すらなされていないのであるから、いわんや二九名の解雇をしなければ企業採算上どうなるか(いか程の欠損を生じるのか、企業努力によって右欠損を吸収する余地はないのか、右欠損は会社全体の営業収支にどういう影響を及ぼすか等々)といった面からの検討がなされた形跡もない。そればかりか前判示(7)のように、本件解雇後、結婚・出産等の理由により―従業員の殆どは女子である―三〇名をこえる任意退職者があり(それらは事前にある程度の予測が可能な筈である)、反って人手不足となってその後少なくとも四名以上の者を新規採用し、更に現在八名位の求人募集をしている事実を併せ考えれば、被申請人会社において本件解雇を実施するに先立ち、もう少し誠意をもってきめ細かな検討を行なっておれば、或は本件解雇を実施するまでもなかったのではないかと思われるのであって、以上要するに、申請人を含め二九名の従業員を解雇するにつき前示のようなさし迫った必要性があったとは到底認められない。

(2) 仮に、本件解雇当時、二九名の従業員を整理しなければならぬ必要性が客観的に認められたとしても、被申請人会社は親会社である野上織布株式会社への配置転換や一時帰休制或は希望退職者の募集等労働者にとってより苦痛の少ない方策を採用して解雇を避ける努力を全くせず(右解雇以外の方法によって余剰労働力を吸収できるかどうか、理論的には可能であっても実際に採用できるかどうか等の点につき具体的な検討もなされていないと認められる。)、当初から指名解雇の方針を固執した。

尤も市川証人は、自分としては希望退職よりも解雇の方が予告手当も貰えるし、失業保険金も早く支給されるので労働者には有利だと考えた旨述べており、一応被解雇者の立場も顧慮したように受取れなくはないが、これはこじつけであり―経済的意味あいに於ても、希望退職の場合は労働者の同意が前提となるので退職条件も有利なものとなるのが通常である。―もし同証人が真実そう思いこんでいたとすれば、それは使用者の行なう一方的な解雇が労働者の生活に甚大な影響を及ぼす点を見落したものである。

なおまた同証人は、会社のいわゆるカウンセリングの際、二九名の解雇予定者に対しては希望退職の意思があるかどうかを確かめたが、希望者は一人もいなかったと証言するが、同証人のいう希望退職とは退職の名目を解雇としないで自己都合による退職ないし円満退社とすることを指すものと解され、本来の意味の希望退職―それは全従業員に対し予め退職条件を示して退職希望者を募ることを意味する―を募ったことにはならない。

(3) 被申請人会社は遅くとも昭和四九年一〇月ごろには人員整理の方針を決定したのであるから、前記「工友会」の場を利用するなどして労働者(代表)に対し人員整理の必要性について事態を説明し、その時期・規模・方法等の諸点につき協議をして労働者側の納得を得られるよう努力すべきであったのに何らそのような努力を払わず、本件解雇当日の朝行なわれた朝礼の席上、初めて不況により人員整理を行なわざるを得ない旨簡単に説明したのみで、予め解雇予定者としてリストアップしてあった二九名の従業員に対し抜打ち的にその場で解雇通告を行なった。

(4) このように本件整理解雇は、極めてずさんな人員計画から安易に指名解雇という結論を導いたものであって、以上の諸点を検討しただけでも既にその解雇権行使のありようは、本来の権利行使として許容されるべき限度を著しく逸脱するものであることが認められるから、更に整理基準およびその適用の仕方の当否等の点につき事細かに当裁判所の判断を示すまでもなく、本件解雇の意思表示は解雇権の濫用として無効であるといわねばならない。

四、被申請人会社は申請人が本件解雇を承認した旨主張するが、これを認めるに足りる疎明はなく、反って≪証拠省略≫を併せ考えれば、申請人は被解雇者のうちでも、終始自分は条件の如何に拘らず本件解雇には応じられない旨明言しており、被申請人会社主張の大村市役所における最終的交渉の席上でも会社側に対し右同様の発言をしたことが認められる。被申請人会社の主張は理由がない。

五、そうすると、申請人は依然として被申請人会社の従業員たる地位を保有しているところ、≪証拠省略≫を併せ考えれば、申請人の本件解雇前三か月間の平均賃金は金四万九、五六六円であること、申請人は他に資産なく本案判決の確定をまっていては回復し難い損害を蒙るおそれのあることが認められる。

六、よって申請人の被申請人会社の従業員たる地位を仮に定め、かつ昭和四九年一二月以降毎月二五日限り前項の平均賃金相当額を仮に支払うよう求める申請人の本件仮処分申請は理由があるからこれを認容すべく、以上の判断と符合する主文第一項掲記の仮処分決定を認可することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 大東一雄)

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